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OLIVE

Author:OLIVE
沖縄と音楽と平和をこよなく愛するOLIVE。 
何気ない毎日に小さな幸せを感じます。
幸せって
人と人が繋がって生きていく 
その中に感じるものかも・・・
日々感じたことなどを時々かいてます。

■□■□■□■□■□■□■□■
主に、子育て中のかあさんたちの
悩みを共に考えていくサポータの
活動をしています。
お話をお聴きしたり、体をリラッ
クスさせるためのケアが中心。
必要な場合は、子育て勉強会も
行っています。
ボランティア(カンパ制)活動で
すので出来る範囲での対応となり
ます。            
※子育て以外の悩みもOK
※子育て中の親以外もOK
□■□■□■□■□■□■□■□
OLIVEプロフィール
「子育ては、一番のPEACE活動」がモットー。
IT関係の会社勤めの傍ら、PEACE・環境・人権関連の活動に関わりながら
主として子どもに関係する活動を行う。
H12年度より、学童保育の地域連絡協議会の活動に加わり、
H16年度会長17年度18年度相談役を努め、連協運営以外に指導員及び保護者から数々の相談を個人的に受ける。
心理学性格学等やボディケアの必要性を感じ、カウンセリング資格を取得。
ボディーサイコサラピーやボディケアのスタディを継続中。
子育て中の親の心のサポータ活動に力を入れています。
日々お話を聴かせて頂くことで、
自分自身の気付きや学びにもなり感謝の毎日です。 
  
資格:
 産業カウンセラー
学び:
・ウィリアム・ライヒの弟子
 アレクサンダー・ローエン
 (医学博士)が創始した
 『バイオエナジェティックス』
 というボディーサイコセラピー
 の勉学に励む。
・子育て関連全般
  講演会、書物
  特に、子どもの権利条約、
  ジェンダー関係に興味を持つ
・鍼灸マッサージ、気功整体

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沖縄から思うこと
先日、日記で
絵本「いただきます」の紹介をしました
 http://olive8843.blog57.fc2.com/blog-entry-81.html

アキヒコさん、由美子さん、ミカチュウちゃん、Oさん
購入&ご予約有難うございます。

アキヒコさんからコメントで感想いただきました。
紹介したいと思います。

□■アキヒコさんの感想■□
  沖縄が戦場になり民間人が犠牲になり、日本軍に自決を強要されたという
  ことは知ってても、飢えでたくさんの人が犠牲になったとはこの絵本を
  読むまでしりませんでした。
  先日の日曜日にヒロシマの原爆はとはどういうものかテレビ放送してまし
  た。後世に伝えるためにもろ肌を見せケロイド状態の皮膚がひっぱられた
  映像がありました。確かに原爆の恐ろしさを伝えるには、火力の凄さや
  放射能の影響など映像を流すのは「悲惨さ」を伝えるには十分過ぎるほど
  であるが、戦後60年がたち日本が戦争をしたこと自体知らない、知らな
  くても生きていける世代にとっては、戦争は身近なものとしては伝わって
  いない気がして、戦争体験の風化は戦時を生きた人が鬼籍に入るに従って
  急速に進んで行くのではと危惧してました。
  おいしいものが、まずたべられなくなります。生きていくためのものさえ
  食べられなくなります。戦争になれば、「いただきます」もできなくなり
  ます。
  絵は柔らかくて、大勢が淡々と描かれています。食べ物がなくなってきて
  人様のものを失敬するほどになり、「やがて、せんそうはおわりました」
  戦地へ赴いたお父さんは帰ってきたのですかね。
  戦争の身体的、精神的、そしてその村や地域や世界に残る継続的な痛みは
  どう表現されるものなのでしょうか。
  ----

沖縄戦があった戦争「太平洋戦争」をしらない私にとっては、
大昔のことのようです。
でも、たった六十数年前のこと! 
戦争のなか生きた方々が、高齢だけどまだ生きておられる・・・
直接お話を聴く事ができるのも あと少し 



OLIVEと子OLIVEは、沖縄を十数回訪れています。
沖縄に魅力を感じ、通うことにしたとき
私たち母娘は、この土地の歴史を知りたくなりました。
この土地、ここに住む人々がどんな歩みを経て、今に至るのか・・・
海軍指令壕とひめゆり平和資料館にいったのが戦跡にいった最初です。
子OLIVE三年生のときでした。
本を読んだり、ネットで調べたり数年かけてゆっくり学んできました。

子OLIVEが5~6年生のとき
県立博物館を三時間かけて勉強し
親友のしかおるさんに紹介してもらい平和ボランティアのOさん
にお願いして戦跡や資料館を二十数か所めぐりました。

子OLIVE6年生の夏休みの自由研究で二人で学んできた沖縄を
「沖縄 ひめゆり学徒隊 島袋ノブさんを追って」と題して
まとめています。
そのなかから<はじめに>と<おわりに>の部分を抜粋したいと思います。
(ほぼ原文ですが、わかりにくい表現は手を加えました。)
 <はじめに>
   調べることになった理由
   私が三年生のとき、初めてひめゆり祈念資料館へ行きました。
   その頃の私は、幼く、母の話もちゃんと耳をかたむけていなかった
   と思います。どのような気持ちで、てんじをみていたかははっきり
   いってなにも覚えていません。でもぎせい者のでんじの中で
   ある1人の女の人の顔をずっと覚えていました。
   四年生のころ、図書館で「ひめゆりの乙女たち」という本をみつけ
   ました。中をみていると
   ひめゆり資料館で見たあの女の人の写真が載っていました。
   その人の名前は「島袋ノブ」さんです。三つ編みをしていて、
   今でも顔は覚えています。
   そして5年生の正月、友達の知り合いの沖縄にいるO池さんの家に
   泊まらしてもらい、ノブさんのこと言いました。
   すると、家に戻ってからO池さんからメールがとどき、ノブさんの
亡くなった時のことやこんな人だったなどの情報をくださいました。
O池さんの知り合いにノブさんの友人だった「宮良ルリさん」とい
   う人がいて、次に沖縄に行くときにお話をきかせてもらえることに
   なりました。
   その年の5月O池さんとひめゆり資料館に行きました。
   館では、ちょうどひめゆりの生き残りの宮良ルリさんが、語り部として
   証言をしているときでした。友達の島袋ノブさんが亡くなった時の
   話でした。涙が止まりませんでした。
   証言が終わったあと、O池さんが宮良ルリさんと直接お話が出来る
   ようにしてくださって、ノブさんのご家族のことなども教えてくれま
   したが、せっかくお話できたのに涙がとまらず、聞きたいことがいっぱ
いあったのにきけませんでした。私はノブさんが好きになりました。
   それが調べることになった理由です。
 <おわりに>
   ひめゆり学徒隊、沖縄戦のことを調べて思ったことは、
   「戦争を二度としてはいけない」ということ。
   沖縄は、日本でゆいいつ地上戦をした場所。それも当時の日本軍は、
   本土決戦を一日でもおくらせるため、時間かせぎの作戦に沖縄を利用
   した。沖縄住民は、根こそぎ戦争にかりだされた。沖縄戦のぎせい者
   の半分以上が沖縄県民であったことを考えると大変つらい。
   今回の自由研究で地上戦がどんなにひさんであったか(地獄だと思っ
   た、この世このでないと思った)がよくわかった。
   私は、本当に世界中から戦争が消えて欲しいと思う。
  ----
あの戦争から六十数年生きてこられた宮良ルリさん
沖縄戦は、太平洋戦争の最終段階1945年三月下旬から三ヶ月続きました。
当時師範学校に通っていたルリさんノブさん 18歳でした。
教師になろうと希望に満ち学んでいたであろう乙女達の
絵本「いただきます」の七歳のよしちゃんの家族の
沖縄の人たちの運命をかえてしまった三ヶ月間。

沖縄戦 沖縄県民の四分の一の命が奪われました。


あまりにも辛すぎる それほど昔ではない沖縄の歴史。
泣きながら心がはりさけそうになりながら 親子で巡りました。
辛すぎて立ってられなくなったことも何度もありました。
なんで そこまでしたのか 私たちにもよくわかりませんでした。
多感な娘に 自分の意思とはいえ こんなことをさせている母親(自分)
ってどうなのよー と自分に問いかけることも何度もありました。

そのことを この絵本の絵を描いた
磯崎主佳さんにメールで話したときに
辛いけどしっかり見つめる娘に寄り添い支える母 素敵な親子だ
と 私の支えにもなってくださったことを昨日のように覚えています。 

戦争を知るということは、
miyukoさんがどこかで書いていたけれど
「生きる」こと を知ること・・・

しっかり生きる」ために
私たち親子は とりつかれたように 巡ったんだと思います。 

沖縄は、今の文明が発達した経済重視のこの社会が 
忘れ去った「人として大事なもの」を 守っているところ
そんなふうにOLIVEは感じています。

辛すぎる歴史を超えてきたゆえ、大事にしなければいけないものがわかる
#巡ってないのでわかんないんだけど
#広島や長崎にもおなじような ものがあるかも

そういった土地 や うちなんちゅ(沖縄の人)から
私たち やまとんちゅ(大和の人という意味)が
癒されたり、エネルギーを充電してもらったり
やっぱりこれでいいんだという確かめをもらう。

人と人の繋がりを重んじ
神様やご先祖様を敬い、「感謝」を忘れない
SPIRITな土地!!

OLIVE&子OLIVEにとって とても大事なところです。
(もちろん、内地(本土)にも、そういうところはいろんなところに
 ありますし、沖縄でも失われつつある部分もあるけど)

ひどい歴史を強いた側の人間が
された側の人々から癒され、包まれている
今の沖縄と本土の関係


島袋ノブさん
爆弾にあたり内臓破裂でなくなりました。
18歳の若さで自分の夢半ばだったと思います。
1945年5月11日ひめゆり学徒隊のなかの、最初の犠牲者。
卓球部に所属し 放課後は、きりっと鉢巻をしめ体育館にかけこんでいった
あかるく高い声でよく笑う清潔感あふれるお嬢さんだったとのこと。

宮良ルリさん 
ノブさんの同級生。沖縄戦にひめゆり学徒隊として従軍。
現在、ひめゆり資料館のある第三外科壕にいました。
米軍がその壕に毒ガス爆弾を投げこみ、たくさんの人が
なくなりましたが、奇跡的に命が繋がった方のひとりがルリさんです。
その後、教師としてたくさんの子ども達を育ててこられました。
現在高齢ですが
ひめゆり平和祈念記念館で語り部として当時の証言をされています。
遠い昔の三ヶ月間がいまなお彼女から離れません。

たった 三ヶ月で
命 運命 変えてしまう・・・それが戦争

誰に人の運命を変えるそんな重大なことの
権利があるんだろう と OLIVEは思います。

避けられない運命は 確かにあります
でも
戦争は、誰か・・そう一部の人たちの意図で始まります。
これは運命? 

ちがうよー

一部の人間の思惑で、
一人一人の命や運命が変わって良いわけがない

少なくとも OLIVEは 一部の人の思惑で
自分の命や運命がかえられるのはいやだ 
巻き込まんといて欲しい! 子OLIVEも巻き込んで欲しくない!

イラクの民もビルマ(ミャンマー)の民も
 なぜ いまこんな思いをしなきゃいけないのか・・と思っているに
 違いない
 

戦争したい人は、自分達で勝手にやればいいじゃん
どっかにこもって銃でももってさ~

戦争では解決しないと思う
今も、テロために戦争してる??
テロなくならないじゃん・・

日本は、憲法9条があるから戦争をしない国 (のはず)
憲法が変わったらどうなるんだろう!

有事法 ってのが数年前 成立している
国民保護法ってのも いつのまにか
教育基本法 が ちょっと前に変わっている
そうそう
沖縄戦の集団自決のこと
教科書から日本軍が関与したとの記述を削除することに
憤慨した沖縄県民が11万人集結したのは、ついこの前
なんでわざわざ削除するように仕向けきゃいけないの?

テロなんとか法・・・が国会を賑わした。

集団的自衛権 慎重に と新しい首相は言ってるみたいだけど
どうなるんだろう

「憲法」は? かわるかもしれない

この国 日本 どこにむかっているのか わからない

わからないじゃまずいよ
自分が 人間らしく生きるため 
自分の子が 人として生きていくため
その先の子孫が生きていけるように・・・
私も考えたいもん

いまできることを 一つ一つ考えて
丁寧に生きて生きたいもん

と最近とくに思うOLIVEです。

【参考】
○子OLIVE6年生の夏休み自由研究
20071010140637.jpg


○宮良ルリさん著書「私のひめゆり戦記」
20071010141107.jpg

A5判 192頁 1,260円 (税込み)

「戦争のない時代に生まれたかった」と言いつつ散った学友達の心を
 伝えたい。ひめゆり学徒が綴る戦争体験。
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PEACE | 14:19:45 | Trackback(0) | Comments(6)
コメント
OLIVE親子の素敵な、奥ゆかしい?笑顔には悩みも悲しみも受け入れて力に変えているパワーがあるんですね。
沖縄、広島、長崎といってみたい気持ちの中に現実を直視したくない自分がいる。今まで外側から、本や画像を通して知ろうとしてきたけど
その現地に行ってひめゆりの塔、原爆資料館などに行ったりするときっと今までずっと知っていたと思い込んでいたものが、いかにちっぽけな
ものに思われるに違いない。自分に向かってくる真実を受け入れる強さ
がまだまだ足りない気がする。
2007-10-12 金 10:59:57 | URL | アキヒコ [編集]
v-521アキヒコさん
その土地に行って感じるもの って確かにあります。
受け止めなければいけないこと もあるけれど
その土地が大きく包み込んでくれる っていうか
うちらを 受け入れてくれている みたいな そんな安心感
も あって 受け止めれるのかもしれません。


2007-10-13 土 20:51:26 | URL | OLIVE [編集]
近現代日本歴史探検は「アジア・太平洋戦争」の新書を読んでいます。
普通は太平洋戦争だけど、満州事変、日中戦争、対米の太平洋戦争
対蘭のインドネシア、対英仏のインドシナを考慮すると、この表現なのかもしれない。
最近の防衛省のメディアの中から
沖縄の普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古沖への移転に関しては、様々なスキャンダルが噂されている。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/tahara/071025_33th/index3.html
2007-10-26 金 16:51:44 | URL | アキヒコ [編集]
「アジア・太平洋戦争」の新書
読んだ感想教えて下さいませ

過去があるから今がある

国を動かす人たち 政治をつかさどる人たち
大変な苦労があると思う。
過去から学べる人 多くの立場を理解できる人
苦労は底知れず大きいと思うが
そういった人に おねがいしたい

自分のことしかみえない寂しい人間
できれば自分はなりたくないです
2007-10-31 水 00:06:30 | URL | OLIVE [編集]
アジア・太平洋戦争の読後、半月?ほど前に書いていた途中に消えてしまって。次に道元禅師を読み始め宋の国から帰り禅寺を開いて布教中
を読書中。やがて永平寺を開くことになる。昨日、テニス仲間のお葬式に
富山の井波に行くと曹洞宗の形式らしく浄土真宗とは違っていた。67歳で亡くなった彼とは30年前のバスケ時代からのやさしいお兄さんだった。ここ10年ほど入院、退院を繰り返し闘病中だった。輸血が元で肝臓
が蝕まれた。お孫さんらしき幼児は赤い着物で驚いたが、禅宗は何事にも執着を捨てることと道元さんは言っていたから、生と死の境界は連続的で悲壮感は多少軽減されるのだろうか。
かなり前置きが長くなってしまったが、死について回路がつながった。
1941年の開戦前の対米交渉や開戦後の1943年以降に講和を結び
終戦と言う現実的な路線を進める人もいたが、「軍隊の仕事は戦果を挙げ名誉を受ける」と思ってる好戦的な幹部を前にしては実を結ばず、圧倒的な物量の差は精神論で埋めれるとずるずると1945年8月15日を
迎えた。アジアでは民間人も含め1千万人の犠牲者。特攻隊として旧式
の戦闘機の故障で帰還した人は知覧に隠匿されていた。戦後2年、3年
経って戦死がわかり?遺骨らしき石が入った箱が肉親の下に来る。シベリア抑留も続いていたし8月15日が終戦日で無い人がたくさんいたのだ。
今のイラクでの米兵の死者が4千人近くになり、主に黒人の貧困層が志願兵として補充してきたが、その志願者も減って来て今度はイスパニシュ系とか?書いてあった。移民は兵隊さんになるのは昔も同じ?人権はどうなるのか。同胞、民族とは何。イスラムの宗派対立。自爆テロを聖戦
とする教え。生と死は薄皮一枚で透けて見えるものなの...
2007-12-02 日 20:12:36 | URL | アキヒコ [編集]
v-521アキヒコさん
感想と死について コメント有難うございます。

父の兄(伯父)は満州に兵隊さんとして行ってたらしいです。
骨も帰ってきてないし、どのように死んだかもわからない。
写真の伯父は、いつまでもとてもハンサムでステキな青年のまま。
逢ってみたかった。
父の父(おじいちゃん)は、引き上げてきた船が着くたびに
港にでかけてたとおばちゃんから聞きました。
岸壁の父・・・ どんな思いだったのだろう。

『戦争』をすることを決める人が、実際に戦うことは無い。
その家族たちも守られてる。
戦争で命を脅かされるのは、いつも決まっている。
決めた人が駒のように利用して・・・
兵士も力の無い民 爆弾を落とすその下の町に住む民も
彼らにとっては、『人』ではなく
戦争ゲームの『駒』でしかない。
戦争ほど、とんでもなくばかばかしいものはないと思う
最も大規模な人殺し であり 人権侵害であり 環境破壊。
あやまった過去は、それとして認め
今と未来を真剣に考えてもいい時。

『温暖化』 崖っぷちの地球。
地球中のみんなで協力しないと救えないぞおー
戦争なんてやってる場合じゃないさ。
権力を持ってしまった人たち!
自分達の首をどんどんしめていることに
早く気づかんなんと思うけど
2007-12-04 火 02:41:56 | URL | OLIVE [編集]
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